インド人が遊びにきた
運営してるシェアハウスにインド人が遊びに来た。
シェアハウスには、他にも遊びに来てる日本人の友だちがたくさんいた。
インド人の彼は英語しか話せん。
でも、日本人のみんなはあんまり英語を話せない。
彼は日本人に良い印象を持ってくれたかな。と不安になる。
僕は旅をするのが好きだけど、日本人の旅人には、旅する人を受け入れる力はまだまだ足りないのかもしれない。
しらんけど。
異文化を理解するために
異文化交流とか
異文化を理解するとか
価値観を広げるとか
外の世界に目を向けると「もっと見てやろう!」「もっと知ってやろう!」って気持ちになるよね。
めっちゃくちゃ良いことだと思うけど、僕が最近気付かされたことはその逆でした。
理解するためには、まず理解してもらわないといけない。
僕が海外に興味を持つキッカケになった人と話していて思ったこと。
例えば、大学のゼミで「アジア人の生活を知る」ことをテーマにインタビューしに、はるばるアジアの国々に出かけたとしましょう。
タイの屋台で、カンボジアの宿で、ラオスの旅行ガイドで、インタビューしてみたら、それなりに平たい答えが返ってくる、とは思う。
それで満足して、レポートにまとめて、「調査してきました!」なんて、なんと自分勝手な笑
人や文化を知ることが簡単じゃないことは、普段の生活からもなんとなくわかる。
自分の言いたいことが伝わらないとか、価値観がわかってもらえないとか。よくあること。
にもかかわらず、自分が他者(異文化)を知ろうとするときは、ものの数十分で、理解した”つもり”になってしまう。
残念だけど、理解した”つもり”ってのがなかなか困ったもんで、理解のズレを大きくしてしまう。
多分、一部の旅人にはこういう経験があると思う。
「あなたのことは本当に信頼できるから、私達(文化も生活もひっくるめて)のことを知ってほしい」
と異文化人から言われて、話を聞かせてもらうこと。
受け入れてもらえたからこそ、本当の異文化に触れる機会を得る。
信頼があるから、真実を伝えられる。
よくある話が「人に名前を聞く前に自分から名乗れ」ってやつ。
おぉ、なるほど確かに。って思った。
理解するためには、まず理解してもらわないといけない。
てのはこういうことなのかな。
理解することと、理解してもらうことは、同じくらい大切なことなんだ、って気付かされました。という話。
しらんけど。
成長するとね
成長した!って少し自覚が持てるようになると
人を評価したり、教育したりしてしまう
そんな偉いことないのに、奢るなよ〜
ん、僕自身のことかな。
「人はいつ死ぬと思う...?」と同じくらいの問い
ワンピースの冬島(チョッパーが仲間になる物語)で、Dr.ヒルルクは問いました。
「人はいつ死ぬと思う...?」
彼はこう自答します
「人に忘れられたときさ」
深いですね。
僕はそんな難しいことはよくわかりません。
が、よく海外を旅するので、この言葉を重ねてしまいます。
「人はなぜ旅をするのか」
生死に関わる話でもなければ、哲学的な話でもない。
なんとなく友達と話してて「なんで〇〇するんだろうね〜笑」くらいの問いかけのように思えます。
僕は旅が好きなので、たまたま旅に重ねただけですが、人はなぜ旅をするのか、という問いは、なかなか答えに辿り着かないような気がしています。
生涯「旅(旅行)をする」という価値観を持たず、実際に旅(旅行)をしない、という人は少数派だと思います。
なので人の頭には、基本的に「旅は人生に必要なもの」という認識があるのでしょう。
でも、なぜ旅するのか。
僕なりに考えてみました。
・人との出会いに溢れているから
・新しい価値観が培われるあら
・綺麗な景色が見たい
・非日常を味わいたい
・一緒に旅する人との友好を深めたい
・食べ物が好き
・文化を肌で感じたい
・一人でゆっくり旅して、考える時間をとりたい
・旅ってなんかかっこいいから
・リフレッシュしたい
・なんとなく遠くに行きたい
どれも、多分そのとおり、です。
僕は、Dr.ヒルルクの「人はいつ死ぬと思う...?」「人に忘れられた時さ」という自問自答に「確かにな」と納得感を感じずにはいられませんでした。
ただ一つの答えなんてあるはずもないのに。
旅をする理由には、「確かにな」と感じさせてくれる一つの答えが見つかりません。
どれも正解な気がして、これこそが旅する理由だ!と言い切れません。
それでも旅をしたいと思うのが、不思議で不思議で、問うてしまいます。
僕は今ゲストハウスで働いていて、人の旅に触れる機会が多々あります。
そんな中で「あ、この人たち『旅してよかったぁ』って思ってくれたはずだ」と感じる瞬間があります。
それは
想定外のことが起こった瞬間
です。
思いがけない出会いや
想像を超えた絶景や
意外な美味しさ
「思ったより〇〇だ」、という瞬間に立ち会った時、旅してよかった、と感じるように思います。
僕が今「人はなぜ旅をするのか」と問われたら、こう答えるかもしれません。
予想もしなかった何かが起こるかもしれない、というワクワク感が駆り立てられるから。
知らんけど。笑
Dr.ヒルルクのように、納得感の出る答えはまだまだ見えないけれど、まだ見ぬ何かに突き動かされて、旅していこうと思います。
幸せのハードルが低い
多幸感ってありますか?
「自分の人生幸せだぁあ」って思えるか「幸せだって思うこともたまには思う」とか、自分の人生をどれくらい幸せと感じてるか、って話なんですが、僕は「自分の人生何が起こっても幸せ〜〜!」って思える方が良い、って思ってました。
でも、ある友達の一言でこの価値観が覆りました。
「自分の幸せのハードルが低いから、今幸せじゃないって感じてしまった時に、どうやったら幸せの感情に戻って来れるのかわからない」
どんなことにでも幸せを感じられることが良いことだと思ってたのに、これは絶対だと思ってたのに、覆されました。
僕はまだ答えが見つかりません。
「やらない」と決めたときの最大の成果
「やる」や「やらない」かだったら、絶対にやったほうが面白い未来になる可能性がある。
「やらない」と決めたとして出る最大の成果は「現状維持」
「やる」と決めたらマイナスになるリスクは負って、最大の成果は「無限大」
革新的に生きたいなら、現状維持を選択する理由なんかないはずなのに、現状維持を選んでしまうのは、その瞬間、やらないことがベストな選択がそこにあると感じるから。
ベストを選ぶと現状維持になるのなら、リスクを負ってもベターな選択でいいよなぁって思う最近。
最大の成果が頭打ちあるって、ワクワクしないもんね。
自分勝手に
ぼくは結構、自分勝手に生きてると思っているけど、やっぱりみんな自分勝手かもしれない。
自分勝手に幸せになろうとするし
自分勝手に誰かを幸せにしようとするし
自分勝手に世界をよくしようとする
でもまぁ、それで人の人生がちょっとでも豊かになるんだったら、自分勝手も悪くない。
みんな勝手に自分で幸せになれたらいいね。
なんて思えないから、人生おもしろい。