うまくことばにできない。

旅と本と頭の中を書き出します。

異文化を理解するために

異文化交流とか

 

異文化を理解するとか

 

価値観を広げるとか

 

外の世界に目を向けると「もっと見てやろう!」「もっと知ってやろう!」って気持ちになるよね。

 

めっちゃくちゃ良いことだと思うけど、僕が最近気付かされたことはその逆でした。

 

 

 

理解するためには、まず理解してもらわないといけない。

 

 

 

僕が海外に興味を持つキッカケになった人と話していて思ったこと。

 

例えば、大学のゼミで「アジア人の生活を知る」ことをテーマにインタビューしに、はるばるアジアの国々に出かけたとしましょう。

タイの屋台で、カンボジアの宿で、ラオスの旅行ガイドで、インタビューしてみたら、それなりに平たい答えが返ってくる、とは思う。

それで満足して、レポートにまとめて、「調査してきました!」なんて、なんと自分勝手な笑

 

人や文化を知ることが簡単じゃないことは、普段の生活からもなんとなくわかる。

自分の言いたいことが伝わらないとか、価値観がわかってもらえないとか。よくあること。

 

にもかかわらず、自分が他者(異文化)を知ろうとするときは、ものの数十分で、理解した”つもり”になってしまう。

 

残念だけど、理解した”つもり”ってのがなかなか困ったもんで、理解のズレを大きくしてしまう。

 

多分、一部の旅人にはこういう経験があると思う。

 

 

「あなたのことは本当に信頼できるから、私達(文化も生活もひっくるめて)のことを知ってほしい」

 

 

と異文化人から言われて、話を聞かせてもらうこと。

 

受け入れてもらえたからこそ、本当の異文化に触れる機会を得る。

信頼があるから、真実を伝えられる。

 

よくある話が「人に名前を聞く前に自分から名乗れ」ってやつ。

 

おぉ、なるほど確かに。って思った。

 

 

理解するためには、まず理解してもらわないといけない。

てのはこういうことなのかな。

 

理解することと、理解してもらうことは、同じくらい大切なことなんだ、って気付かされました。という話。

 

しらんけど。