タイムカプセルを配達し「てみた。」
家のおしいれをあけてみると、手紙がはいっていた。
成人式のときに、小学校6年生の担任の先生から手渡されたものだ。
小学校6年生のときに「みらいのじぶんへ」あててかいた手紙だった。読むとなんだか恥ずかしくって「こんなこと書くなよ笑」って小声で言葉にしてしまう。まわりにだれかいるわけでもないのにね。
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成人式は1年と3カ月前。
地元にかえってきて、地元のともだちとひさしぶりに再会するのがむずがゆくてそわそわする感覚だったのをおぼえている。
同級生全員の手紙をあずかった。
成人式の日、当時の担任の先生から「今日成人式でみんなに渡しといてね!」と言われて「まかしてください!」とかるくひきうけてしまった。今になればそれでよかったのかもしれない、なんて思えるんだけど。
よく考えてみれば成人式にこない人もいる・・・
案の定、手紙はてもとにのこった。
15通。
多いのか少ないのかわからなかったけど、どうすることもできなくてとりあえず家にもちかえっておしいれにしまい込んだ。
「いつか渡す日がくるんだろうな」なんて考えて。
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きがつけば1年たっていた。
手紙はおしいれにはいったまま。
じぶんはのこされた手紙たちのことを忘れた日はないけれど、渡されるはずだった人たちはきっと手紙のことなんか忘れてて、送られるはずだった手紙たちはきっとさびしかったのかもしれない。
「やっと陽の目をみるはずだったのに。何年もまちつづけていたのに。」
手紙からそんな声が聞こえてくるようでなんだか後ろめたい気持ちだった。ごめんなぁ。
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「渡しにいこう。」と思った。
15通の手紙の送り主の中にはほとんど接点のない子もいる。
けど、一度あずかった手紙をあるべきところに届けるのはじぶんの役目なのかな、って思って。
すぐに家をでて、車をはしらせた。
自転車で配達するのなんていいよな、と思ったりもしたけど、はやく届けにいきたかった。
彼らがいまどこに住んでいるのか、なにしてるかなんてアテもなかったけど、とりあえずいけばなんとかなるでしょ、って思った。
10年前の記憶をたよりに同級生の家をめざす。こっちだっけ?もうひとつとなりの通りだったかな?なんて地元で迷子になりながら1軒ずつさがした。
8通は届けることができた。
送り主が不在であえなく郵便受けにいれた手紙が1通。
ひさしぶりに会って手渡せたのが2通。
のこりの5通は送り主の家族にたくした。
表札をみて家をさがすのなんていつぶりだろう?
チャイムを押すのにどきどきするなんて何年前のことだろう?
好きな子の家の前で何時間もうろうろしながらピンポンするか悩んでたときのことを思い出したりもした。
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10年前は長く感じた通学路も、思っていたより短くなって、
迷路みたいだった団地は小さな住宅街になっていた、
変わってくのはいつも風景だと思ってた。
コンビニができて、家が建って、公園はきれいになった。
でもそんなことばっかりでもなくて、どうやらじぶんも変わってきたらしい。
変わらない田んぼを今になって素敵だと感じたり、
旧友の家の前をとおれば記憶があざやかによみがえる。
そして、ふと会いたくなって連絡する。
じぶんの乗ってる車がタイムマシンになったかのように、
昔と今を感情が行き来する。
こういうのも悪くないな、と思った。
タイムカプセルなのか手紙なのか、はたまた手渡しなのか。
きらきらと輝く、遠くのセカイばかりを見ようとするけれど、
目の前にありそうな、近くの世界は思っていたよりあざやかにひろがっていた。
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7通は迷子のままの手紙だけど、また送り主もとめて旅をさせることになりそうだ。
そのときまでもう少しだけおしいれで待っていてもらおう。